妖怪馬鹿
2002年5月14日……認めたくないものだな、若さゆえの過ちというのは。
大学受験の時、何故建築学科を選んでしまったのか考える。
そもそもは高校時代の文理分けの時。
文章を読んだり書いたりするのは好きだが、思い込みや思い入れでは問題が解けないので、現国は嫌い。数式を見たり解いたりするのは好きだが、問題が難しくなると長時間集中しないと解けないので、数学は嫌い。読解は得意だけど、英作文ができないので、英語は嫌い。化学式は大好きだが、憶えないといけないので、化学は嫌い。力学は大好きなのだが、電磁気力はイメージし難いので、物理は嫌い。歴史は大好きなのだが、好きな時代が偏り過ぎていて受験時に得点元とはなり得ないので、歴史は嫌い。
そんな複雑な事情で、つい何となく理系に進んでしまったのが運の尽き。
建築学科を選んだのだって、アーティスティックな野望に燃えていた訳ではなく、単に大きな建築物を見るとわくわくするとか、廃墟が大好きだとか、世界の古代文明の遺跡が好きだとか、全国各地津々浦々の社寺仏閣が馬鹿馬鹿しい程好きだとか、その程度のどうでもいい動機なので、困っているんだよな。今。
……卒業製作、どうしようかな。
伝統的木造建築(社寺仏閣)の免震・制震改修がやりたいなあ、とは思っている。しかし、建築物そのもののハードよりも、その社寺仏閣の縁起、宗派、歴史、信仰などのソフト的の方に興味があると云う下心が渦巻いていることは否定しない。
と云うより正直、不安なのは、俺が「伝統的木造建築の免震・制震」と云うテーマを自ら設定しておいて、途中から「伝統的木造建築の縁起と土地の信仰」などと云うテーマに、何時の間にかスライドしてしまう可能性があることを、否定できないことである。
つまり、建築学の卒業製作をやっているつもりで、完成したら民俗学の卒業論文として読めてしまう、トンデモ卒業製作になってしまうかも知れないのだ(しかも気づいた時には手遅れ)。
一層のこと、最初から社寺仏閣に纏わる縁起とか信仰とか伝説とかに、研究のテーマ変えようかな。禊でもしてさ。
大学受験の時、何故建築学科を選んでしまったのか考える。
そもそもは高校時代の文理分けの時。
文章を読んだり書いたりするのは好きだが、思い込みや思い入れでは問題が解けないので、現国は嫌い。数式を見たり解いたりするのは好きだが、問題が難しくなると長時間集中しないと解けないので、数学は嫌い。読解は得意だけど、英作文ができないので、英語は嫌い。化学式は大好きだが、憶えないといけないので、化学は嫌い。力学は大好きなのだが、電磁気力はイメージし難いので、物理は嫌い。歴史は大好きなのだが、好きな時代が偏り過ぎていて受験時に得点元とはなり得ないので、歴史は嫌い。
そんな複雑な事情で、つい何となく理系に進んでしまったのが運の尽き。
建築学科を選んだのだって、アーティスティックな野望に燃えていた訳ではなく、単に大きな建築物を見るとわくわくするとか、廃墟が大好きだとか、世界の古代文明の遺跡が好きだとか、全国各地津々浦々の社寺仏閣が馬鹿馬鹿しい程好きだとか、その程度のどうでもいい動機なので、困っているんだよな。今。
……卒業製作、どうしようかな。
伝統的木造建築(社寺仏閣)の免震・制震改修がやりたいなあ、とは思っている。しかし、建築物そのもののハードよりも、その社寺仏閣の縁起、宗派、歴史、信仰などのソフト的の方に興味があると云う下心が渦巻いていることは否定しない。
と云うより正直、不安なのは、俺が「伝統的木造建築の免震・制震」と云うテーマを自ら設定しておいて、途中から「伝統的木造建築の縁起と土地の信仰」などと云うテーマに、何時の間にかスライドしてしまう可能性があることを、否定できないことである。
つまり、建築学の卒業製作をやっているつもりで、完成したら民俗学の卒業論文として読めてしまう、トンデモ卒業製作になってしまうかも知れないのだ(しかも気づいた時には手遅れ)。
一層のこと、最初から社寺仏閣に纏わる縁起とか信仰とか伝説とかに、研究のテーマ変えようかな。禊でもしてさ。
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